場面緘黙症の人の家族が苦労すること

場面緘黙症コラム

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本記事の筆者 牡丹です。
幼少期~小6の卒業式の日まで場面緘黙症でした。

筆者が当事者だったとき、筆者の家族も苦悩の日々でした。

本記事では、当時の場面緘黙症の家族がどんなとことで苦労していたか紹介します。

保護者の苦悩

「お母さんの育て方が悪い」という言葉

筆者が場面緘黙症当事者だったときは、「母原病」という言葉が、よく言われる時代だったそうです。母原病は、「子供の様々な問題は、母親の育て方に原因がある」というものだそうです。

実際に筆者が保育園に行くと「話せず動けず」の状態になるのは、「親の躾が悪いから」と、周りの人は思っていたそうです。

筆者の母親も、保育園の先生から責められているようでした。
「牡丹ちゃんがこうなのは、お母さんの育て方が悪かったんでしょう」と言われたようでした。

親のせいと決め込まれたら、反論もできない時代だったのでしょう。
母親が、筆者のことで毎日悩み、心を痛めているのは幼いながらに理解していましたが、筆者もどうにもできませんでした。

母親自身も、筆者を保育園に通わせづらくなっていたようです。

我が子の将来不安

「この子が、この先もずっと人前で話すことができなかったら、どうしよう。話せなかったら、今後の人生、困ることばかりになる。この子は社会で生きていけるのか?」

この不安が尽きなかったようです。
筆者は、言語獲得も早めで発語も順調だったそうです。
それなのに、保育園という社会場面に足を踏み入れるとまったく声を出せなくなるというのは、不可解なのも無理はありません。

当事、親は、筆者を連れて何件か心理療法家の先生のところに相談に行きました。

「家では大きな声で話して笑って元気な姿も見せるのに、なぜ保育園では完全に無口になっちゃうの?」そんな思いを専門家にぶつけていました。

しかし、相談機関をはしごしても、問題解決に繋げることはできず、筆者は、一向に話せるようにはなりませんでした。

筆者も「なぜ保育園で話せないのか?」は、自分でも理由が全くわからず、ただただ「お母さん、ごめんなさい」という気持ちで溢れていました。

家庭内コミュニケーション

筆者が小学生の時。
親が、筆者の学校生活の話題を出すと…「その話はしないでよ!」と筆者は逃げていました。

「学校でも、早くちゃんと話してよ」と言われるのがつらかったんです。

親と話し合ったところで、「じゃあ明日から学校で話します」なんていう約束は絶対できないんです。こうやって、筆者は学校の話から逃げ続け、親子間のコミュニケーションも上手くいってませんでした。

筆者が学校の話題を嫌がるので、親も遠慮して次第に学校の話題を出さなくなっていきました。
筆者からも学校の話を切り出すことは当然ありませんでした。

その分、親にすら何も相談できず、一人ですべて学校での苦しみを抱えてました。

当時、親とだけでも、相談ができる関係性だったらどんなによかっただろうと思います。

報酬でも解決不可能

親から、このような提案をされたこともあります。

筆者の緘動症状を治そうとして『学校で文字を書けるようになったら、牡丹が行きたいって言ってた近くの遊園地に今度連れてってあげる』『学校で一人で歩けるようになったら牡丹が欲しい物を買ってあげる』

筆者の緘黙症状を治そうとして『学校で話せるようになったら、今度、ディズニーランドに連れてってあげるから

そうやって、なんとか筆者の学校生活問題を解決できないか試みていました。

親の気持ちはよくわかるのですが、残念ながら場面緘黙症はそんなことでは治りません。

当時は、自分が場面緘黙症という病気だから「学校で話せない」ということすら知らなかったです。

なので、「そんなふうにお母さんが提案してくれても、学校で話したり動けるようにならない自分はわがままだ」と思い、自己否定をしていました。

勿論、そのような提案で子どもの場面緘黙症を治せる場合も無いとは言い切れないですが、今冷静に考えれば、「報酬」をぶら下げて治せるような簡単なものではありません。

我が子のことでも理解できない

「牡丹ちゃんのお母さん、なんで牡丹ちゃんは学校で話さないの?お家では話してるんでしょ。お母さんから『明日から学校でしゃべるようにならなかったら、お仕置きする』って言えばいいんじゃない?」

筆者の同級生は、筆者の母親にそういったことを言うこともよくありました。
でも、母親も我が子が「なんで学校で話せない?」と聞かれても、わからなかったので困った顔をして濁すしかありませんでした。

そんな会話を見て、筆者自身もいつも胸が痛みました。

兄弟の苦悩

筆者が学校で話せないことによって、筆者の兄弟にまで嫌な思いをさせることもありました。

小学生の低学年のある日。
休みの日に、兄弟で一緒に家の近くの公園に行って、遊んでいました。

そのとき、公園には他に誰もいませんでした。

学校関係の人がいない空間だったので、筆者は、自分の思うがままに喋ったり、遊んだりしていました。
しかし、遊んでいる途中、その公園に筆者と同じクラスの人が来ました。クラスメイトと目が合った筆者は、次の瞬間、身体が自然に凝り固まりました。

そして、そのクラスメイトが私の兄弟に何か話しかけていました。

「何を話しているんだろう」と不安にもなりつつ、筆者は学校に居るときのように無口無表情のまま座っていました。

クラスメイトが公園を出ていったあとに、兄弟から

「さっきの人が、ニヤニヤ笑いながら『お前んちの牡丹って、学校でしゃべらないよね』とか言ってきたよ。

どうしていいかわからなかったから、その人から逃げてきた。」と言われました。

そのとき、筆者は何も言えませんでした。

「気にしないで」と言うのもおかしい。
「そんなことないよ」と言ったら嘘になる。

とにかく兄弟に対してまで、そんなことを言われることがショックでした。家にいるときの筆者は普通に話ができるので、兄弟にとっても、『話せる筆者』のイメージが、デフォルトです。

なので、このようなときは困りました。
実際、このこと以外でも、筆者のことが原因で、兄弟が学校内でからかいに合ってしまうこともあったようでした。

自分のことを兄弟にまで言われるのは、悲しいことであり申し訳ないことに感じました。

今となっては「場面緘黙症」という説明ができるものですが…当時はこれが現実だったのです。兄弟に対しても申し訳ない気持ちでした。

【余談】幼少期のビデオを観てみたら

あるとき、保育園時代の親子イベントや運動会・卒園式のときのビデオを観ていました。親が撮影した古い昔ながらの映像でした。

画面のなかには場面緘黙症の筆者がいました。

場面緘黙症だった自分を客観的に見ることは、それが初めてだったのである意味で新鮮でした。
ところどころで親が筆者に話しかける声も入っているのですが、保育園という場所では親とも話ができません。

親が、そんな筆者の姿に困惑しながらも撮影している雰囲気が伝わってきました。

先生や友達が話しかけてくれても無口無表情でいる姿。

みんなが無邪気に遊んでいるなか、静寂に身を包まれて突っ立っている姿。

みんなで歌を歌ってるときも、一切口を動かせていない姿。

名前を呼ばれても返事できず、座ってるだけの姿。

場面緘黙症そのものの姿でした。

当時の筆者は心のなかでは常にたくさんの感情が渦巻き、脳内は忙しい状態だったと思います。

保育園で何もできないことが苦しくて苦しくて、ずっと心では泣いて苦しんでいる感覚でした。

でも、正直、映像で客観的に自分の姿を見ると、「何に対しても意欲がない人間」というような印象でした。全く話もできず動くこともできてない状態だからです。

まるで、植物みたいでした。
筆者は、保育園や学校で皆と同じことができなかったので「サボっている」と言われることが日常的でした。
とてもつらい言葉でしたが、場面緘黙症の人を客観的に見た場合、「サボっている」ように見えるのも理解ができました。

一方、家で過ごしてるときのビデオでは、保育園での筆者はどこにもいません。
元気いっぱいで、こんなにしゃべるのか?というくらいしゃべってます。表情も豊かです。

保育園にいるときの同一人物とは信じられないです。保護者は、家での我が子の姿をよく知っているだけに混乱も大きいのです。

家ではあんなに話すのに…なぜ?と。

まとめ

場面緘黙症の人の親は、計り知れない大変な思いをしてきた方も多いでしょう。
筆者の親も、筆者のことが全く理解できずに子育てに手を焼いていたようです。

「親が悪いからこうなる」という今では信じがたい誤解も、たくさんの人から受けていた時代。

場面緘黙症は、親の育て方が原因ではないと今でこそわかってきているので、それが救いです。
今後も、場面緘黙症への正しい理解を普及することが課題です。

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