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本記事の筆者 牡丹です。
幼少期~小6の卒業式の日まで場面緘黙症でした。
中学校に上がると同時に場面緘黙症を克服した筆者でしたが、場面緘黙症の「後遺症たるもの」での苦しみは克服後も続きました。
本記事では、場面緘黙症を克服した後に、どんなことで苦しんだかを紹介します。
筆者が経験した、場面緘黙症の後遺症
筆者が、後遺症と感じたのは、例えば、下記のようなことです。
①低いコミュニケーション力
子供は保育園、小学校…という社会で、コミュニケーションスキルを身につけていきます。
しかし、場面緘黙症の発症時期は2~5歳の時が多いため、場面緘黙児は発達上大切なこの時期から既にコミュニケーションを学ぶことができません。
特に自分側から「発信する」機会が失われます。
筆者自身、中学校入学と同時に場面緘黙症を克服しましたが、同級生とテンポ良く会話することにとても苦労しました。
小学校卒業までまともに友人と会話をしたことがない子が、いきなり普通に友人との会話を楽しめるか?
「難しいのでは?」という声が聞こえてきそうですが、全くその通りでした。
これは、相手による部分もありましたが、特にきゃぴきゃぴしているような女子集団との会話は非常に苦手でした。
自分が話していいタイミングもわからず、自分の話す内容が「これでいいのか」と不安になってばかりでした。
また、相手が比較的おとなしいタイプの子のときは「自分が何かしゃべらなきゃ」と過剰に焦り、相手に質問攻めをしてしまうこともありました。おそらく「うっとうしい」と思われていたでしょう。
そんな状態の筆者だったので、いつしか人と話すこと自体に全く自信がなくなりました。
その結果、最低限のことは話しても「友人と会話を楽しむことはできない」というような学校生活になっていました。
②声のボリューム調整が苦手
『授業中に発表するとき、適した声のボリュームを出すこと』も全然うまくできませんでした。
教室で皆に聴こえるような声で発言しないといけない機会は、意外と毎日あるものです。
日直になった日は授業のはじめと終わりに号令を掛けたり、授業中はあてられて発言するといった機会が、該当しますね。
筆者は、当時、よく『声が小さいな』と先生に言われることがありました。
教室全体に聴こえる声のボリュームの調整ができていなかったのです。
先生からそう指摘されると、自分が小学校時代に話せなかったことを見透かされているような気がしてきて、そのたびに変な汗をかくようになりました。
「これも小学校時代、話ができなかったのが原因なんだろう」と自分を責めていました。
時間が経つにつれ、教室で「発言する」ということへの不安が大きくなってしまい、手が震えてしまうようになりました。
また、授業の合間の休み時間に「次の授業であてられて『声が小さいよ!』と言われたらどうしよう。もうこれ以上恥をかきたくない」と思い、いつも授業への恐怖でおびえるようになりました。
特に、実際に「声が小さい、聴こえない」と言われた授業の後はあまりにも恥の感情が強くなり、教室から消えてしまいたくなっていた日々。
恥ずかしさのあまりクラスメイトに顔向けもできず、一人で下を向くことしかできませんでした。
③低い自己肯定感
場面緘黙症時代、自己肯定できるときはありませんでした。
周りからも人格や存在を否定されながら生きていたので、「自分は生まれてきてはいけなかった」という思いが日常的にあったのです。
強烈な自己否定の癖が、場面緘黙症を通して根付いてしまいました。過去に「学校で話ができなかった」ということを負い目に感じ、いつまでも引きずっていました。
場面緘黙症を克服してからも、自分を何かにつけて否定する癖が消えない状態でした。
④自己コントロール感の欠如
いじめられても抵抗できない。
話したいけど、話せない。
動きたいけど、動けない。
これらは、場面緘黙症の子が抱える実態です。
自分の意思通り発言や行動ができないのが日常のため、自己コントロールの概念が、身に付きませんでした。
普通であれば、何か問題があったときには「自分で動いて改善する」「誰かに助けを求める」などアクションを起こすのが人間です。
しかし、筆者が場面緘黙症克服後も自分の身に問題が起きた時、基本的に「耐える。」という手段しか選べませんでした。
いまとなっては、「問題があったら解決のために動いて良い」というのは理解したのでそうしていますが、それができなかった時期も長かったです。
⑤自分のアイデンティティ欠如
2歳児くらいのときから場面緘黙症を発症した筆者は、場面緘黙症と共に人生がスタートしました。
幼稚園に入る前から、「よその人が近くに来ると黙ってしまう特徴」は見られていたと、親から聞きました。(このときのことは、当然まったく覚えていません)
物心がちゃんとつく前の時期から、発症していたため、最初から場面緘黙症ありきの人生です。
筆者は、幼稚園での集団行動を通して、初めて自分の異常性を自覚し始めました。
もう、気づいたときにはすでに周りとは違っていたのです。
本来の自分は、人と会話ができ動くことができるのは認識してました。
けど、なぜ場所を選ぶのかが不明なのです。「さっきまでお家ではできてたのに、なんでここ(幼稚園)に来たらしゃべったり動いたりできなくなるの?」と、自分自身の行動を理解できませんでした。
なんだか正直、「どこまでが自分で、どこからが自分以外なのか」わからない状態でした。
「自分の中に姿のない魔物が存在し、それが学校で話す邪魔をしているのか?」と考えたり…「もしかして自分は、多重人格なのかな?」とも思った時期もありました。
とにかく自己理解が全くできませんでした。
こういったことが、セルフイメージを悪化させ、自信の喪失を助長し、その後の人生にも悪影響を与え続けているのは否めません。
場面緘黙症の人は本来、早い段階で自分が場面緘黙症であることを知る方が良いに決まっています。「あくまで自分は自分。自分に場面緘黙症が乗っかっているから、学校で話せない」と正しく理解することで、アイデンティティ形成に与える悪影響は減るでしょう。
筆者も、「自分が場面緘黙症でなかったら、どんな子だったのか」と考えることもあります。
ただ、場面緘黙症当事者の時も『本当は、キャピキャピしたいのになぁ』『冗談を言ったり、ボケてみたりして皆を笑わせたい』という願望はしっかりとありました。
実際、学校以外の場所では元気に話して、周りを笑わせるようなひょうきんな面も見せていました。
しかし、大部分の時間を過ごすことになる「学校」という場所で話ができないので、「おとなしいを超えた、おとなしすぎる子」というレッテルを貼られ、それが筆者のイメージとして確立していました。
12歳という思春期まで”場面緘黙症LIFE”だけを生きていたので、場面緘黙症自体が、自分の性格形成に強く影響したことは、間違いないと思ってます。
『静か』『おとなしすぎる』『自己表現ができないのね』等と何度も言われたので、それが自分の性格だという認識が固着していきました。
筆者は、いまだに「おとなしい」などと評されると、相手に悪気がないことは理解してても、とても嫌な気分になってしまします。
⑥特定場面では声が出づらくなる
場面緘黙症を克服した後、当事者時代のように「特定場面で全く話ができなくなる」ということは一度もありません。
しかし、限定的に「非常に声を出しづらい」と感じるときは、時々ありました。
具体的には、非常に威圧的な態度をとる人の前です。
言いたい言葉は、頭の中に用意できていても、それを発声しようと思うと喉が引っかかったような感覚になります。
なんだか、場面緘黙症だった過去の感覚に少し似ているような感覚がよみがえってくる瞬間です。
まとめ
本記事では、筆者が場面緘黙症を克服した後に苦しんだことについて紹介しました。
これらの後遺症も、時が経つに連れて緩和されていっているように感じるので、ある程度は時間が解決してくれるのかもしれません。
特に苦しかったのは場面緘黙症克服後の10年間ほどです。意外と長く後遺症に苦しみました。
また、威圧的な態度をとられると今でも「声がパッタリ出ないようなときもある」とわかっているので、そのような環境をなるべく避けるようにして過ごすなどの工夫もしています。
場面緘黙症を克服したら「昔のことは昔のこと。自分は変われた。もうこれからは、どこでも誰とでも話せる!!!!」と心機一転、新しい人生を歩めるものだと信じていました。
しかし現実は甘くありませんでした。
自分の過去への折り合いがつかずにずっとずっと悩み、後遺症で苦しむ筆者がいました。
「では現在は?」というと、すっかり折り合いが付いています。
「場面緘黙症になりたくてなったわけではないから、自分のせいではない。むしろ、あの過酷な過去を良く乗り越えた。よく生きてこれた」
そう思うようになっています。
場面緘黙症だった過去があっても、未来はちゃんとありました。
皆さんも、場面緘黙症だった過去は、修羅場と闘い抜いた素晴らしい過去であることを忘れないでくださいね。
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コメント
コメント失礼します。通信制高校2年生男です。僕は筆者さんと同じように幼少期〜中3辺りまで場面緘黙で、中2の頃から限界が来て不登校になり、中3は週にちょこっと車で送ってもらって別室登校みたいな生活を送っていました。そして、僕は中3の時に兄が大学受験だったので勉強というものに初めて興味を持ちました。そのときは算数の割り算もbe動詞も小学校の漢字も怪しかったんですけど、分厚い大学の本で色々な大学を見てると、「頭良さそう、カッコイイな〜」なんて思い、自分がそこに行ける可能性について考えてました。多分ここから少しずつゲーム中毒だった僕が変わっていったんだと思います。長くなるので少し省略すると、中3の頃にスタサプで英語辺りをひたすらやって、数学は近くの個別塾でとってやってました。今は難関大学と言われるところを目指していて基本勉強ばかりやっているんですけど、正直1番辛いのが、もちろん成績が伸びないとか勉強関連の事もあるんですが、人とのコミュニケーションが流暢に出来ないみたいな事なんです。筆者さんがこの記事で仰っているように、ぼくも後遺症みたいな物が付きまとってて、声のボリューム調整だったり、声の裏返りだったり、自分という存在は教室の中では喋らない置き物みたいなレッテルを貼られて生きてきたんで、本当に教室で声を発して周りの人間が自分という存在を知覚するのが怖くてたまらなかったりするんです。今は週2で登校しているんですけど、正直生徒とはかれこれ10ヶ月近くは一言も会話してません。教師と便宜的な会話をちょっとするくらいです。まあ正直クラスに仲良くなりたいみたいな人がいないのもあるんで今はこのままでもいいんですけど、やっぱりこの先に大学とかで仲良くなりたいな〜って思う人とかとコミュニケーションを取るって場合が来た時に自分のコミュニケーション能力の無さに絶望して、過去の自分を恨むような状態になるのが容易に想像出来てしまって凄く怖いんです。だから自分としては今最も理想的な状態ってのが、多分コミュニケーションの練習を教室内で出来ることなんだと思います。僕は双子の、自分と同じように場面緘黙気味の弟がいて、普通に家では仲良く会話出来るんですが(多分基準低めです)、学校では本当に便宜上での会話みたいなのしか出来ないのが凄くコンプレックスで辛いです。また、恐縮ですが筆者さんは今対人関係みたいなものはどうでしょうか?長々とすみません。意を決して自分の感情を出来る限り書いてみたのですが、やはり吐き出すと心は楽になりますね。筆者さんとは当てはまることが多くて親近感が湧いていたのでつい書いてしまいました。大変申し訳ございません。m(_ _)m
この度、ブログを閲覧いただきありがとうございます!
様々なことで悩みながらも試行錯誤されているn様の状況が伝わってきました。
大学進学を目指していることやコミュニケーション力を身に着けたいという目標に向かい頑張っているのですね。
吐き出すことで少しでも楽になるのであれば、よかったです。自分だけで抱え込むのは、ストレスが増大していくだけですよね。
幼少期~中3まで場面緘黙症だったのであれば、本当にまだ克服したばかりだと思います。後遺症も本当につらいですよね。
「教室でコミュニケーションの練習をしたい」という向上心、素晴らしいと思いました。
しかし、実際できるかできないかを考えた時に、「できない」と思うことを無理してやろうとすると、もっとストレスになっていないか心配です。
できないことにもきちんと理由があるので「コミュニケーションの練習をしないと」と思い詰めることはしなくて良いと思います。
今もとてもつらいと思いますが、この先、どうやって行きたい大学に入り理想に近い生活をするかだけにフォーカスするのも一つの手かもしれません。
私自身も、小6まで場面緘黙症でしたが、知っている人のいない中学に進学したことで場面緘黙症を克服しました。ですが、後遺症により対人関係には何年もずっと苦しみました。
社会人になり職場で働いてた際も、怖い上司の前では全く声が出なくなったり、声が出せてもうわずったり裏返ったり…震えたり…。そんな自分が嫌でたまりませんでした。
周りに話しかけるタイミングや声の大きさでも常に悩んでいました。
また、集団の中にいると周りの目が気になりパフォーマンスが落ちてしまい、上手く仕事をこなせなくなっていきました。
やはり、場面緘黙症という不安症を持っていた過去がある以上、「周りの人と同じように流暢にコミュニケーションをとるのは難しい」と諦めることも必要ということがわかりました。
「自分は生まれつき、場面緘黙症というハンディを抱えていたから仕方ない。自分に環境を合わせればいい。」と割り切り、会社は既に退職して、今は自宅でできる仕事を探して、始めています。
そのため、今は対人関係には基本的に悩まされない状況をつくりました。
このブログサイトも、会社を退職した後に、自分の心に整理を付けていく中で立ち上げました。
おそらく場面緘黙症の後遺症で苦しんでいる人は、たくさんいると思います。
n様も無理しすぎにはお気をつけください。ご自身のことを責める必要は全くないと思います。