【場面緘黙症】少しだけ話せるようになった日々の学校環境

場面緘黙症 経験談

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本記事の筆者 牡丹です。
幼少期~小6の卒業式の日まで場面緘黙症でした。

実は、筆者は、短い期間でしたが、特定のクラスメイトとのみ、話せた時期がありました。

基本的に「学校では話せない」場面緘黙症ですが、少しだけ話せるようになることがあるのは、興味深い事実ですね。

本記事では、少しだけ話せた時期の状況や、当時の気持ちを紹介していきます。

限定的に話せた時期

突然のことです。
ある日、隣の席の子にだけ、囁くような小さい声でなら話すことができました。

隣の席の子は、少しびっくりしていましたが、決して大げさなリアクションはしませんでした。
そのことが、筆者にとってはとてもありがたかったです。

そして、しばらくしてから、他にも2~3人のクラスメイトとも小声で話すことができました。

一方、その人たち以外には、声を聴かれてはいけないというプレッシャーがありました。

でも、少しだけでも、学校で話せた経験自体は、成功体験となりました。
また、当時の担任の先生も、筆者が一部の人とだけでも話せてることを、喜んでくれました。

「学校で話せるって…夢だった…」と、自分じゃない誰かになったような感覚でした。

自分でも、なぜ突然話せるようになったのかは謎でしたが、現在、振り返ると、以下のようなことが考えられます。

該当時期は、比較的、小学校生活のなかで環境に恵まれてたときだったと思います。

筆者は、小学校6年間通して、ずっと学校で話すことができない苦しみを抱えていました。
しかし、当時の担任の先生は、筆者が学校で話せないことや動けないことに対して、あまりネガティブな見方をしない雰囲気をつくってくれました。

その結果、ストレスや自己否定感情も小学校生活のなかでは、相対的に少なかった時期のような気がします。
そのことにより「不安」が緩和され、少しだけ話せるという状態に至ったのかもしれません。

また、特定の話せる相手とは、放課後一緒に公園で遊んだりするときは、普通に大きな声で会話もできるようにもなりました。

最初は「牡丹が普通にしゃべる…」と内心困惑しているようでしたが、「自分たちにだけは、喋ってくれる」というのを特権のように喜んでくれていました。

本人である筆者は、クラス全員ではなくて特定の人たちだけに話すことへの罪悪感はありました。
でも、「友達と会話する楽しさ」を初めて知ったような感覚でした。

「すぐには無理かもしれないけど、この調子で話せる相手を広げて、普通に学校でも話せるようになれないかな」と希望を持っていました。

再び全く話せなくなった日々

その後、『牡丹は、決まった人にだけは、しゃべるようになったんだって』と、クラスでもどんどん注目されるようになっていきました。

『決まった人だけじゃなくて、私にも話して!』
『私も牡丹の声を聴いてみたいから、「あ」って言ってみてよ』

と、周りを囲まれる時もありました。

筆者は、そのことが非常にストレスになってしまいました。
誰とでも話したい気持ちはあっても、急にはできないのです。

「特定の人とだけ話している」という事実に対して、注目されたくなかったという気持ちが本音でした。

しばらくすると、再び、学校では誰とも話せない状態にリセットされてしまいました。

せっかく、良い展開が見えてただけに、大いに自分に失望を感じました。

注目されることへの恐怖

「いままでしゃべらなかった人が、突然しゃべったら、びっくりする」というのは、当たり前のことです。

クラスの一大ニュースのようにだってなるでしょう。

筆者の場合も、「一部の人とだけ話せる」という事実が、やはり噂となったわけです。

そして、他のクラスメイトたちからも話すことを強要された結果、プレッシャーに感じて結局もとに戻ってしまったと考えます。

本音を言うと、当時の筆者は今は、そっとしててくれるのが一番うれしい。もちろん、全員と話せるようになっていきたい。でも今すぐと言うのは難しい」
という感覚でした。

そして、仮にしゃべれたとしても、「あ、今しゃべった!!!!!!」と大きく反応されることが、なぜか場面緘黙症の人にとっては怖いのです。

逆に「びっくりされない」ことを約束してもらえたら、とても話しやすくなります。

極端に言うと、以下のような対応だったら、全員と話すことができるようになった可能性があると感じます。

「もし牡丹がしゃべったとしても、そのことにびっくりしないようにしてね。牡丹は最初からしゃべっていた人のように接してね。」

と、先生からクラスメイトに声掛けをしてもらい、その約束をクラスメイトが守ってくれる。



もちろん、「びっくりしないで」なんてお願いは、現実的になかなか無理があるとは思います。

場面緘黙症の人の「注目されることへの恐怖」。

当事者である自分でも、とても不思議です。

まとめ

場面緘黙症の筆者にとって、一部の人とでも話ができた体験は、非常に貴重な体験でした。

少し話せるようになったときの状況は、上述したように「学校生活環境が比較的良いときだった」「話した相手が、過剰に驚かないでいてくれた」条件がそろっていました。

周りの環境調整によって、場面緘黙症の人が話しやすい方向に持っていくことができるのかもしれません。

筆者が再び全く話せなくなったとき、周りも落胆していました。
少しだけの期間、一部の人とだけ話すという幻のようなことをして、すぐに元に戻ったので、周りを混乱させてしまったと思います。








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